ナルボルに執着してるという話

原作過激派っていうか精神的に過激派にならざるをえないんだよな…NARUTOの他メディア化が良い悪いを問わず
長年培ってきたクソみたいな勝手な自解釈が煮凝りしてしまって岸本先生が直接手掛けてる漫画ナルトボルトしか正史と思えない、っていう一種の病気に近い
依存の柱の1本になってしまってる

アニボルのサスケと原作のサスケの父性について

父性というのは、アニメのBORUTOではサスケからサラダへの労りや相談に乗ろうとする仕草がかなり多いと感じる一方で、NARUTO外伝でのサスケが積極的で優しさの強い父性を抑えていたこと、また原作漫画のBORUTOでも家にいないとかサラダがナルトが父親だったらという話が顕著だと思う。一番わかりやすいのが、「微笑み」がアニボルだと多いというか、アニボルのような目尻を下げて口角を上げるような「微笑み」が漫画にはない。

原作や漫画が好きというか、岸本先生の描くサスケにこだわるのが性分なので、家族むつまじくいて欲しいという願望はあるけれど、サスケの不器用さというか忍びとしての真面目さ(単純にそういったことに慣れてない気もする)が不完全な人間としていいよなと思う。ただ、家にいない、おそらく家事してないなど、サクラに任せきりな様子は現代において割とありえないのに加えて、娘との接触も少ないとなれば、サスケは父として夫として機能していないのでは? とも思うのも事実なので、その辺りをアニメでフォローしているのは現実的かもしれない。サスケは振り切りすぎるきらいがある(そこがよくはある)。

ただそういう忍びとしてしか生きられないサスケは、これまで少年、青年と時代を追って見てきた側としては、やっぱりサスケだなあとも思ってしまうので、そんなサスケもダメな親父だけど好きだなと思うんであった。

サスケのボルトへの「死ぬ覚悟」について

忍は道具ではないけれど何かを成すためには命を捧げる、里というものは多くの人の生き死にを抱えて生きているのでそれを死んでも守るのが忍、というNARUTOでのぼんやりとしたイメージがあるので、BORUTOでの「サスケがボルトに『里のために死ぬ覚悟はあるか』」と問うたことについて、連載時に読んでた時はまあそうだよなあボルトだって忍だもんなと受け入れてたんだけど、ボルトがまだ13歳(おそらく)ということを忘れてたなと思った。柱間なんかは「子供が死ななくていい里を作る」とまでに言ってたように、外伝でサスケが子供たちを徹底的に部外者にしようとしたように、大人の忍が子供を助けることはあっても危うい戦場に駆り出すことはない、ってのがNARUTO2部後半でのスタイルだったと思うんだけど、このサスケにはそれがないのかなと確かに思った。里を守るために子供を1人捧げる覚悟と言ってもいいのかなと思った。ただこのイッシキ編がちょうど小太刀脚本が終わったターンでもあるので、どこまで岸本先生の意向があったのかはわからんけど。サスケは大人の陰の部分を司っているのでこういう配役にはぴったりかなと思うけど、よく考えたら違和感は残るかなあ。単純にそうしないとボルトが活躍できないというのはわかるし実際話は面白いのであんま気にはしてない。

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今日のアニボル(予告)

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